続・物語のストーリーについて

よくある勇者物のファンタジーRPGと物語一般についての個人的な思いです。大したことは書いてません。細かいことまで書くときりがないので、細かいことは確認してません。多分何ヶ所か間違えてます。今回はPSO2にほとんど関係ありません。

この記事の前編のようなもの

ベタな物語(読み飛ばしてOK)

自分で今までにない独創的ですばらしい事やってやろうとは誰でも思います。ただ、単なる思いつきオンリーのものは全く成功しない。誰も歩いた形跡のない道と いうのは、過去に誰か歩いたけど「あ、ダメだこれ」となってそれ以降誰も歩かなくなった道かもしれません。世界には60億の人がいますから、良い道なら とっくに誰かが見つけてます。自分一人の力で新たに誰も知らなかった素晴らしい道を切り開くなんてほぼ無理です。

たとえば相対性理論とか地動説も、アインシュタインやコペルニクスが発表する以前に大部分が他の人によって完成されていたとも言われています。決して天才が一人で作り上げたのではなく、それまでの大勢の科学者の成果を土台として完成したわけです。

と いうわけで、とにかく誰もやってないことをやってみようぜというのはろくな事になりません(遠い目)。長年みんなが歩いている王道な道なんてのはつまらな いかもしれませんが、それは過去の多くの人の苦労の結果作られたもので、大勢の人が歩くだけの価値があるのだと思います。そして歩く人が少ないマ イナーな道というのはそれだけしょっぱいわけです。

しかし、なにも他の人と同じようにやるのが一番いいというつもりはありません。自分一人の力ではそれまで他の人が積み重ねてきた成果である王道に遠く及びませんから、過去の人々の力を借りればよいと。だから他の人の物語の世界観を借りるなり、他の人のものをよく学んでそれをもとに独自のものを作っていくとか。私はそこからよいオリジナルが生まれると思います。すんごく当たり前のことですが

物語の話に戻ると、人気な物語というのは勧善懲悪とかベタでありきたりなものが結構多いと思います。過去の人々の苦労の結晶であるベタな展開とか王道というのは案外馬鹿にできないのではないでしょうか。それからこういうベタなテーマは簡単に楽しめる。ハリウッド映画は先が読めるベタでお馬鹿な展開でも楽しい。逆に独創的な複雑で哲学的なテーマの映画は大抵の人が見てて眠くなる(もちろんそれにも価値があることはわかるのですが)。

また、他の人の物語の世界観を借りる場合、読み手がその話を知らないと読めないという問題があります。なので、誰でも知ってる話の世界観を取り入れるのが理想かなと。

余談

まあそういう意味で言うと、PSO2で誰もやってないFo/Huで、ゲームシステム的にセオリーから外れた魔法剣士なんてのは実利を考えれば愚の骨頂だと思います。現実でガチな場面で中二病こじらせて「俺まじ独創的www」と短絡的にセオリー無視の行動を取ると、だいたい地獄を見ます。

でもゲームの中ならそういう中二病な行為ができるんです。実利とか実用性なんて必ずしも求めなくていいのだから。むしろゲームの中でくらい現実でできないことをやらなくてどうすると思ってます。

ファンタジーRPGの元ネタ

エルフ耳のファンタジーの起源は指輪物語、指輪物語の元ネタは西洋の神話とか伝説とかその辺り。そして、ファンタジーRPGの元ネタはたいてい西洋の騎士道物語とか英雄伝説とかその辺。だから、西洋の神話や中世の物語はファンタジーRPGのストーリーに大きな影響を与えていると思います。そして日本の伝説を元にしたゲームもあるにはあるが少数派(東方、大神)。逆に海外では忍者が大人気。自分の知らない遠い国の物語のほうがファンタジー感が出ていいのかもしれませんね。

伝説の剣

各国の伝説の剣を比較してみた

草薙の剣(日)

スサノオが竜を倒した時にドロップした剣。元は天界で神々が造り上げた剣だったと思う。その後、ヤマトタケルが手にしたが、戦闘で用いられたという記録は特にない。神々との戦闘では無名の剣が使われていた可能性がある。なお、持ち主が握らなくてもひとりでに草を払ったとか、ひと振りで1km四方の草を刈ったと言われている(もっと広かったかもしれない)。

エクスカリバー(英)

岩に刺さっていて、勇者しか引き抜けないと言われていた剣。アーサー王が引き抜いて自分のものにした。さやが本体。(さやを)持っていると、決してダメージを受けないらしい。

トリシューラ(印)

剣の形をした核のような何か

他の剣も知りたいならここにまとめられています

各国の英雄伝説比較

さて、各国の勇者たちの最後を比較してみます。

ヤマトタケルノミコト伝説

父にその力を恐れられすぎて、わざと休みなく戦わされ続け、最後は弱り果てて都に帰ることもできず死亡

ジークフリート(ニーベルンゲンの歌)

親族に恨まれて暗殺される

インド神話(どれか忘れた)

連戦連勝で調子に乗って神々を怒らせて天の軍勢に襲われ、最後は石になる

アーサー王

エクスカリバー(の鞘)を失い、深手を負って何処かへ消える

結論

勇者はたいていBAD END。ファンタジーRPGでよくある勇者像なんてのは幻想のようだ

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コメント

  1. 刃渡 より:

    独創性、あまり好きではありません。
    独創性自体が嫌いなのではなく、独創性を要求されることが大嫌いです。
    私の持論ですが、創作は自由であるべきです。
    そこに、独創性だとか先人との類似性だとかいう縛りを設けることは、私にとって窮屈以外の何物でもないです。
    結論を一言で言うと、「独創性なんざクソ食らえ」です。
    商業作家を目指す場合には、それはある程度必要なものでしょう。何しろ売らなきゃご飯が食えない。人と同じモノ作っても、売れるわけじゃない。売れる時もあるみたいですが。
    だから、「商業作家なんざクソ食らえ」になります。私にとっては。
    たとえ私にプロになるだけの技術と才能があったって、お断りですよ、んなもん。
    私は小説を書きますが、私は作者である前に読者です。
    作者としての私は、読者としての私の奴隷に過ぎません。
    読者の私が読みたいもの、面白いと思うものを書くためだけの存在、それが「作者としての私」です。
    私は独創性なんかいらない。私が楽しければ何でもいい。私が面白ければ独創的だろうがパクりだろうが構わない。
    まあ……他人の丸パクリを私が面白いと思うわけないんですけどね。
    商業作家を目指しているかどうかで私の態度も変わりますが、もし商業作家を目指してないのなら、独創性なんてものはドブに捨てちまえと言いたい。貴方に対して、と言うよりは、小説を書く全ての人に対して、ですね。
    そんなものを気にして自分の書きたいものを曲げるくらいなら、筆を折った方がマシです。
    魔法戦士にしても同じ。
    独創的かどうかは後から付いてくるだけ。そして、それが付いてくるかどうかにさえ興味はないです。
    私はただ、やりたいことをやるだけ。
    まあ……そのためには、孤高を貫く覚悟くらいは必要ですけどね。